F1のシーズンが始まった。
今年から監督以下スタッフそしてドライバーが日本人でチームを構成している、Super Aguri Formula 1というチームが加わり、これ以上ないであろうと言う贔屓のチームができた。結果から言えばまったく新しいチームが急ピッチでチームを作りマシンを走れる状態にした、そして2台のうち1台は感想をしたと言うのは素晴らしいことである。 もう一つのスポーツはWBC、所謂野球の世界大会。観戦こそしていなかったが、日本チームはアメリカと戦い負けてしまった。 新聞にも出ているので知っている人は多いと思うが、審判の判定が覆り日本チームが得た1点は無くなってしまったのである。 球場でもそのシーンをビデオで流したようだが、どう見てもアウトではないのにアウトにされたと言うのである。判定を覆した審判はかなりの問題児(爺?)だそうで、ロッテのバレンタイン監督も「あいつか…」みたいなコメントをしているそうだ。 さて、スポーツの試合では審判が絶対である。 「そりゃねーよ、あんた今のがアウト(またはセーフ)かい?」とか、「いやいや、今のは相手の反則でしょ?何でうちらがペナルティー食らうのよ?」なんてシーンでも抗議はしても、選手はそれ以上の抗議や何らかの行為をしてしまうと退場処分になる。 だからこそ、審判は公正であるべきである。 だが、この判定覆り事件には問題点がまだある。 なぜアメリカチームの試合に同国の審判が判定をする立場で試合の現場に立っているのだろうか?これではアメリカに有利な判定が出ても不思議ではないと言わざる負えない。 テレビを通して観戦していても、目の前で観戦をしていても、きわどいプレーにはビデオの再生でもう一度、場合によっては何度も、そのシーンを振り返る。現在のプロスポーツはこのビデオの結果を採用している事はほとんどない。 もちろんカメラが捕らえられ角度からの判定では審判は絶対であろう。 より公正な判定のために、両方を融合できないのだろうか? 去年の夏に札幌に行ったが、帰りの飛行機で読むために本を買った。引退したジャンボ機のパイロットが書いた本であった。その中にこんなことが書いてあった。「パイロットとは計器を見て1フィートの誤差もなく同じ高度を飛び続けることができ、また逆に、ある程度の誤差は気にすることなく臨機応変に対応できなければならない。」(その本を寄付してしまったのでタイトルも著者も判らないですゴメンなさい) 審判は少しも見誤りのないように努めて、微妙の判定になりそうな時にはビデオで確認する。そんな風な柔軟な考え方をスポーツの世界に応用できないのだろうか?
by mar1hide
| 2006-03-14 00:12
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参加型なんとか
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